HP開設のご挨拶

- こんにちは。「SaiCLE」ホームページのブログへようこそ。
斉藤建築工業(株) 代表の斉藤知広です。
このホームページが完成したことを機に「 SaiCLE」 の紹介や住まいづくり、また日々で感じたことをブログに綴っていくことにしました。ブログを始めた理由として、大切なご家族が暮らす住まいづくりは、住まい手と作り手との感性や価値観の相性がとても重要だと考えています。結婚に近いものであり、住まいが完成したあとも長いお付き合いをさせていただきます。そのような想いから、私の人となりをブログを通じて少しでも知っていただけたらと思いスタートすることにしました。不慣れや少し気恥ずかしさもありますが、ご一読いただけましたら幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
初めての投稿ですので、私の自己紹介を兼ねながら斉藤建築工業へ2012年の入社までを綴っていきます。
私は、1982年7月19日生まれの現在42歳です。29歳で妻(同年齢)と婚姻し、長男と次男の4人家族です。妻は現在、会社経理として支えてくれています。何気ないとこなのですが、家族と近所のスーパーに買い物へ行くことだけでも楽しく、幸せを感じます。時には私が料理にも挑戦しますが、味は妻には及びません。家族と一緒に食卓を囲む時間は何よりの喜びであり、食べてくれる家族のありがたさと尊さを感じます。また、私は釣りを長らく趣味としています。嬉しいことに子供たちも興味を示してくれるので、釣り場で一緒に糸を垂らすことが外での心地よい休息であり、楽しみとしています。
普段は作業着で仕事に就いていることが多く、事務所と現場の行き来があるため欠かせません。また、現場確認で欠かせないスケール(メジャー)を常に腰に下げているのですが、青年団体の仲間にそれがバレて、「スケさいさん。スケさん。」の愛称で呼ばれています(実は気に入っています)。
小さいころは父(現会長))の仕事を見て幼少期を育ち、作業場にあった材木の端材を切ったり付けたりして遊び道具を作って楽しんでいました。ものずくりが好きだったため、自然と建築に興味を持ち、父に支えてもらいながら大学で建築を学びました。卒業後は、ゼネコンの建設会社に施工管理として採用いただき、勤めはじめましたが根性なく1年で退社してしまいます。今だからこそよく分かりますが、新人育成には経費、教育に割く時間が相応に掛かるものです。加えてお給料をいただいていた御恩と共に、期待に応えられなかったことへのしこりが心に残っています。
その後、建築から一度離れます。ある製品パンレットのデザイン・資料制作会社を従姉妹から紹介いただき、運よく採用され29歳まで都内に勤めていました。建築以外に専門らしい知識や業界に触れることがなかったため、どれも新鮮に映りました。上司、先輩諸兄にサポートいただきながら、1から学び始めます。自身が制作した成果物が世に出回り、人の目に触れることが嬉しく、建築とはまた違った視点の楽しさを感じました。
そのような中、転機となったのは27歳の時でした。同年齢の友人が「斉藤建築工業で新築を検討している」と連絡がありました。この友人は地元古くからの付き合いであり、他愛のない話から何でも相談をしてきた仲です。親友といえます。話を進めていくと「会社を継がないのか?」と聞かれました。その時は仕事を任されるようになり、私生活も充実してきたころであったため、継ぐことは考えていないと返したのを覚えています。
その後にまた連絡があり、「斉藤建築工業で契約した。」という話でした。そこでまた「やっぱり会社継がないの? 実は、契約後に社長(現会長)と夫婦で食事会を開いた際に、社長が知広に戻って継いでもらえたら嬉しいと目を赤くして話ていた。」と聞かされました。このとき、 選んでくれた嬉しさの反面、以前に家業は継がない。と、返した後ろめたさを初めて感じました。驚きはしましたが、自身の人生なのだからと感情には左右されたくはない想いが強く、感謝を伝えたと同時に継ぐ意思がないことを改めて伝えました。しかし、この出来事から家業のことについて少し気に留めるようになります。
そして、新築住宅は完成し、私は何度もお家にお邪魔しました。そうすると改めてなぜ斉藤建築工業で建てたのか自然と会話になるわけですが、友人であることを差し引いても当時ではまだ珍しい高気密高断熱「FPの家」の性能に惹かれたこと。奥様が玉戸モデルハウスのデザインを気に入ったこと。住宅展示場のハウスメーカーを何社も渡りそれぞれと比較検討したこと。 家業の家づくりについて特徴を詳しく知らなかったため、あべこべ教えてもらいましたがハウスメーカーにも劣らない先進的な住宅を建てていたことを知ったのです。
そう教えてくれた友人は斉藤建築工業で建て良かったと、笑顔で喜んでくれていたことを忘れません。その後の帰路では心に引っ掛かるものがありました。選んでくれたのに建てた側に居なかったこと。そして今後、父の代わりに誰が大切な家をメンテナンスしてあげられるのか。と、心の底から喜べていない私がいたのです。はたして自分は本当にこのままでよいのだろうかという複雑な感情が芽生えました。
心境が変わったのは1年後(28歳)の2011年3月11日に発生した東日本大震災です。父はその時、海外にいたため、私は勤め先から帰宅後に実家の様子を確認に行きました。実家は、1階が事務所。2階が自宅となっています。そして着いたときに驚きました。社員全員が自宅で待機することなく出社し、被害に遭われたOB様自宅屋根の応急処置の手配と工事にあたっていたのです。社員自身やそのご家族も大変な状態であるはずなのに、OB様を優先して対応している姿に衝撃を覚えました。私は何もできず、ただ感謝を伝えることしかできません。これを機に漸く気づいたのです。両親だけではなく、社員、関係各位のお陰で斉藤建築工業は支えられてきたこと、それによって私自身の自由が成り立ってきたこと。それが起因となって家業を継ぐ気持ちが固まっていきました。
当時、婚姻したばかりの妻に気持ちを打ち明けました。ありがたいことに理解していただきましたが、気持ちの整理に時間を設け、改めて変わりないことを伝えました。その後、父に継ぐ意思を伝えて入社を承諾もらいます。勤め先に辞める意向を伝える寂しさもありましたが、私のために何度も送別会を開いていただいたことは、本当に嬉しい出来事でありました。この間にお世話になった上司、先輩諸兄、関係各位の皆様には感謝しかございません。当時の学んだ知識と技術は現在も仕事に活かされています。ありがとうございました。
こうして2012年斉藤建築工業に入社いたしました。
代表に就任しまして今年で6年目を迎えます。「SaiCLE」は、会長が道標として掲げた「理念」と新たに私が掲げた「信念」を基に家族の安心、安全、健康的な住まいをプロダクトアウトした持続可能な住宅です。2011年の東日本大震災では、福島原発の悲劇がありました。原発という危険と隣り合わせの技術の上に生活が成り立っていることを嫌でも痛感させられたのです。現在も住んでいた家に帰ることが出来ないのが現状です。省エネルギー(安心、安全、健康)住宅が増えていくことによって、原発減につながると考えます。このような家族の安心、安全、健康的な住まいは様々な波及効果を生むと捉えています。そのため高性能を特別にしてはならない想いから、規格住宅「SaiCLE」の開発と専用ホームページの開設にいたりました。
これから様々発信していきたいと計画しております。今後とも斉藤建築工業株式会社をどうぞよろしくお願いいたします。長文となりましたが、ご一読いただきありがとうございました。
「SaiCLE」基本性能
断熱等級7、HEAT20G3、C値03以下、耐震等級3、許容応力度計算、制震ダンパー、自然素材、珪藻土、木製サッシ、木製ドア、無垢材